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埃の及ぶ国、エジプトでの生活記

埃の及ぶ国、エジプトでの生活記

アッラーのお告げ!?

8年前に遡ること、ある日の夕方当時遠距離交際中だった夫からの

電話がリンリンとなり、開口一番「エジプトに行くことになった・・・」と告げられた。

何も返せなかったが、彼に取って良いことなのだろうと思い、

「今週末会って話しよう」ということになった。

薄々は感じていたものの、早速のプロポーズ、からの2カ月で

結婚式を挙げるまでに話が進み、あれよあれよと彼は赴任して行った。

 

いざ到着القاهرة (アル・カーヘラ)

海外生活の経験が無かった私は英語も話せず、

ましてや中東・アフリカと聞くと怖いイメージしか無く

旅番組や地球の歩き方など思いつくものは何でも見た。

それでも不安を挙げれば枚挙にいとまがなかった。

彼との新婚生活がしかも海外・・・

しかも砂漠やテロなど何かと悪いイメージが先行してしまうエジプト、

極めつけは駐妻コミュニティへの参加・・・

しかし、その不安も感じている暇も無い位にパッキング、予防接種、情報収集を行い、

とうとう私の出発日を迎えた。

成田を経ちドバイを経由し、早速砂埃や砂漠の風景が目に飛び込んできた。

そこは昼下がりの灼熱のカイロ。

久々に夫との再会に安堵するも、聞きなれないアラビア語とタクシーや

物売りがあり得ないくらいの近距離で色々話しかけてくる。

会社の運転手の所まで何とか到着し、しばし自宅まで落ち着いたかと思えば、

車は競う様に道を進み、窓を開けて威嚇し合い、道半ばで止まったりする。

これは今の日本で社会問題になっているあおり運転、不注意運転のエジプト版である。

今考えれば物凄く不安・危険に思うのは至極当然だった。

 

少しずつ分かり始めた駐在家族の環境

自宅はおよそ120㎡の4LDKで家賃は12万円と好条件ではあったが、

エジプトの平均月収が当時1万円と考えれば

日本で六本木ヒルズに住むような感覚だったのかも知れない。

オーナーも極力金払いのいい外国人を相手にしており、

ルームランナーや空気清浄機更には家具一式を買い替えてくれた。

ビル一軒丸々所有するオーナーの余裕というやつか。

早速その週末に現地日本人会の駐妻立ちの集まる食事会に出席する事になった。

女同士の大きなヒエラルキーに面倒臭さを感じながらの参加だった。

夫の会社には4人の奥さんがいたが、幸いザマス系の高飛車女性はいなかった。

お互いやはりそれなりの距離感を保ちたいというスタンスだったのか

イメージしていた会社のドライバーを使いまわして、High teaを楽しんだり、

ダンスや旅行三昧ということもなかった。

しかし、そこは高々1,000人程の日本人社会、女性を半分としても500人、

まさに中小規模の女子高なのだ。

バンコクや上海の様に日本人人口が大きくなり過ぎた社会や

アフリカの小国で日本人が10人しかいない国とも異なる条件だ。

大使夫人様を頂点とする見えないヒエラルキーがそこにはあり、

日本人会のイベントは必ず現地法人社長が主導した会社同士の意地の張り合いにも見えた。

 

徐々に現地に溶け込もうとする私

そんな現実がぼんやりと見えた矢先に私に安心を与えてくれたのは、意外にも現地の人達であった。

ヒジャーブ(髪を隠すスカーフ)を被らないアジア人が好奇の目に映ったのは間違いないが、

元気のある挨拶に始まり、道に迷った時や買い物時のサポート、

更には重いものを自発的に運んでくれたりと日本では

かつて昭和の時代に当たり前だったことがとても新鮮で好奇心をくすぐられた。

ローカル感のある地域に住んでいたこともあり、

頭の上に大量のパンが載った畳位の板を載せて走るパン売り、

早朝から空の鉄タンクを叩いて交換を促すガス売りなど

初めて見る景色を目にするに従い、エジプトへの好感度は次第に上がっていった。

同時にアラビア語の勉強を夫と始めるなど、いわゆる“現地化”を進めていくことが

現地の生活をよりスムーズにする武器でもあると感じ始めた。 続く

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1 COMMENT

アバター sss

中東は極端な気候や宗派の違う恐いイメージが先行もし、興味や魅力が遅れてしまいます。言語以上に病気や施設等、食事や習慣といった生活上の不安もありましたが、実際の観光でない体験談を読めて参考になりました。

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